熊を見つめた男たち

コンパニオンアニマルとして熊を見つめた3人の男性についての考察です

Richard・Steiff (リヒャルト・シュタイフ)①

シュタイフ社創始者マルガレーテ・シュタイフの甥。

1902年 テディベア第一号55PBのプロダクトデザインを手掛けた。55は座高サイズを、PはPlush(ドイツ語フラシ天)で素材を、BはBeweglich(ドイツ語可動)で肩と股関節が可動する部品を内蔵していた。

1903年 55PBはライプツィッヒの見本市でたった1人米国人バイヤーの目に止まり3000体を受注する。

リヒャルトの55PBは生き生きとしたリアルな熊を目指したデザインであったとされている。素材のフラシ天とは純毛のフェルトのモヘアであり55PBは経年劣化を避けられなかった。また後年に研究対象となることなどをはもちろん想定しておらず55PBは現存していないがデザインの一部は写真で確認出来る。

55PBのデザインの考察はリヒャルトが熊をどう見ていたか、コンパニオンアニマルとしての熊が当時のいちドイツ人男性としてのリヒャルトに及ぼした影響がどんなものであったかを垣間見させてくれるものとなる。

55PBがライプツィッヒの見本市で米国人バイヤーのみの目に止まったことが真実であるならばその日米国人バイヤーが55PBを目にした瞬間(ひょっとして手に取り抱きしめたかもしれない)の心象が興味深い。

①「これは見たことがない」野生の熊をモチーフにした木彫りデザインはフィンランドなど北欧諸国やロシア等には既存であったがふわふわしていたものは皆無であったと思われる。シュタイフ社のフェルト工芸は当初衣類とインテリアだが羊毛加工技術としてのフェルト加工そのものは当時は新参であった。

②「これは売れる」この仮説は是非とも立証したい。ライプツィッヒの見本市で売買されていたものは売れ筋のデザイナーズブランドばかりではなかったはずである。シュタイフ社は熊以外のフラシ天のぬいぐるみを既に販売していた。それらはマルガレーテ・シュタイフの回想を主とする文献(そして日本語で読める文献)によれば子どもたちのコンパニオンアニマルとして需要があった。リヒャルトは55PBについて「家族とペットの中間」とコメントしたとある。

男性が熊という動物をどう認識しているか、という疑問にこのコメントは少なからず、いや完全な答えを述べている。

優れた家畜の要素には幾つかある。荷役(運搬)、毛皮(衣服とインテリア)、食肉(繁殖後屠殺して食用とする)、搾乳(家畜を屠殺せずに母親動物の子育て中のミルクを採る)。もっとあるかもしれない。

そして家畜としての優れた存在理由のひとつにコンパニオンアニマルがある。いわゆるペットとはここに位置する。盲導犬などの生活補助を除く一般的な愛玩動物の大部分は小型犬、猫であるが、荷役としての大型犬、ロバや馬なども一個体として人間と内面で対峙し得る優れた能力を持つコンパニオンアニマルと言える。最近ではカテゴリーが難しい幾つかのげっ歯類(リスなど)と爬虫類をエキゾチックアニマルと称してペットとするのは周知である。

さて熊はどうであろうか。文学、音楽、絵画などのモチーフとしての熊も興味深いが1902年のリヒャルトの55PBはそれらのアートとは一線を画すものだ。

何故熊を傍らに置く必要があるのか。抱きしめることは果たして必要か。

実際マルガレーテの回想には55PBとなる以前のリヒャルトによる提案を「これは売れないと思った」とある通り、熊を傍らに置きたいという需要が女性には見えないものなのかもしれない。

③「これが欲しい」米国人バイヤーは55PBを見て単純に自分用にこのオブジェを欲しいと感じて買わずにはいられなかった可能性は極めて高い。米国人バイヤーは55PBを手に取り抱きしめもしたことだろう。わたしは当時のフラシ天の感触がどんなものだったのかがわからないので米国人バイヤーが55PBを抱きしめた時の感覚は正直わからない。

初期シュタイフのテディベア作品に共通しているのはその顔である。生きた熊は獰猛であるとされるし、実際に怒りを発している熊は極めて危険な存在である。ところが熊の目鼻立ちは総じてユーモアを持っていて、かえって近づき易く微笑みかけたくなるような面白いものである。狸や狐、猿などと比較してみれば一層判りやすいが熊たちは皆まるで現実逃避をしているかのようななんだか眠そうな顔をしているのだ。

1902年のリヒャルトの55PBはコンパニオンアニマルとしての熊の謎を解く鍵を含有するたいへん興味深い作品である。

これらの仮説を時間を掛けて証明し、修正する過程が楽しみでならない。

わたしは女性であるはずだがおそらくはリヒャルトの熊を内面に持っていると日々感じている。熊が好きだと言ってもなかなか真意が伝わらない。家畜として(リヒャルトは家畜以上と言ったが)、コンパニオンアニマルとしてわたしは熊が必要なのである。

この覚え書きはまだまた長く続きます。わたしの能力に限界があり研究の資料の検索速度は遅く、今後そうとは知らず嘘も書いてしまうかもしれませんがこれは営利目的の研究ではありません。虚偽はその都度謝罪をして訂正させていただきます。

今後性別を問わず脳内に熊を必要とされる方のコメント、また資料の交換等、情報の提供して下さるならたいへん嬉しく思います。ブックマーク欄にてやり取りしたいと思います。