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熊を見つめた男たち

コンパニオンアニマルとして熊を見つめた3人の男性についての考察です

熊人形製作者リヒャルトの見た世界(草稿)

何から書きはじめたらいいだろう。リヒャルトについて何かを書いたとしてそれがこの世界の熊人形製作のはじまりの物語ではない。ヒトと熊のリレーションシップは悠久の歴史を持つのである。

しかしそのような時間の流れの中にあって熊人形製作者としてのリヒャルト・シュタイフは革新の人であったと言える。1900年頃に弾けるようにしてはじまるシュタイフ社に於ける熊人形製作はその作品の評価、製造工場シュタイフ社の企業的試み、発売と共に世界中に沸き起こる熊人形の需要という数々の要素がリヒャルトは技術的かつ知的な冒険者であると証明している。

革新的な歩みは少数の人の、他人には思ってもみないような実験的な行動の結果であることが往々だが、彼は果たして真の意味で少数派だっただろうか。とりあえず彼がドキドキはらはら博打がやめられぬ破天荒な反社会的人格障害を患っていたという文献は今の所見つからない。

周囲から革新でアヴァンギャルドと評価されること、「えっ、そんなことを?」と言われてびっくりされること。それらは実は特に奇をてらい、周囲の注意を引こうとしてそうしているわけではない。それらの提案を当人らは「どうしても」そうしているのである。

シュタイフ社の熊人形はのちにテデイベアにカテゴライズされ、世界の玩具の主流となる。

ある日リヒャルトは手足の動く本物そっくりの熊人形を量産しようと会社に提案したが、当時のドイツ南西部における文化的背景がその提案をはじめ受け入れなかった。

受け入れなかったのはシュタイフ社の幹部たちだけではない。ドイツ北東の都市での見本市でも熊人形は全く売れなかった。

本物そっくりでなければ、とリヒャルトは考えた。しかし本物の熊そっくりだったからこそシュタイフ社の新作は見向きもされなかった。

これからわたしはリヒャルトの見た世界を書き続けたい。彼は「どうしても」を生きた真の芸術家であった。