熊を見つめた男たち

コンパニオンアニマルとして熊を見つめた3人の男性についての考察です

クマとの出逢い〜近代ドイツ近郊に於ける熊と人間の関わり

リヒャルトがはじめて熊に出逢ったのはいつだろう。

現代のわたしたちの身の回りにはじつは熊は溢れている。ディズニーのクマのプーさんは世界的なクマのアイドルであるし、リラックマくまモンはニッポンを代表するクマタレントたちだ。わたしは最近”コリラックマ”なるクマの赤ん坊キャラクターを知り緩い衝撃を受けた。今やリラックマ族は全国展開コンビニチェーン店の販促業を一手に任されているのだ。

名前が付けられる前の沢山のテディベアたちはどうだろう。テディベアたちを本当に熊と呼んでいいか。漫画化され、生まれながらにして人間たちに弄ばれる。アメリカの大統領や軍人のなにがしがテディベアを戦地や会議に携帯したというがそんなテディベアたちにはもはや尊厳は無い。戦争や不完全な政治の片棒を担がされたのだ。

リヒャルトにしても彼がそんなに立派な人だったかどうかはわからない。わたしがリヒャルトにこだわるのはだったひとつ。リヒャルト以前に柔らかいリアルなクマの人形は無かった。

つまりリヒャルト以降の人間たちは柔らかで従順な、自分本位な人間たちの意のままになる歪んだ熊しか知りえなかった。だからと言ってそれを憂いているというわけでは無い。悪意は無かった。そして人形には意識など無いのだし人形を燃やしても壊しても責任を追求されることはない。

わたしがリヒャルトの思い、熊を見つめる彼の眼差しを知りたいと思うのはいっときのシンパシーやテディベアたちごめんなさいの贖罪ではない。

熊を知りたいのだ。

熊は力が強い。それは悪いことだろうか。熊は記憶力が良い。ヒトの真似をする熊の動画を見てわたしはただ呑気に笑うだけではないのだ。

二足歩行をして前足の五本の指で器用に物を持つことが出来る。ヒグマは大柄な男性と身長が同じくらいであり、眼球は顔の正面に並んでおり前方を見ている。熊は魅力的である。

リヒャルトに戻ろう。

1900年前後のドイツ南西部ではすでに東西各地からの物資や情報が流通しており、様々な要因でリヒャルトの熊に対する感覚は大きく変化を遂げた。

当時のヨーロッパでは植民地で捕獲した大型動物を鑑賞する娯楽が既にあった。マルガレーテがひどく憧れた”ゾウ”のイラストはアジアゾウもしくはアフリカゾウで、サーカスの巡業のポスターであったし、それ以外にも小規模な移動動物園なるものもあったという。

シュタイフ社は何種類かの動物を人形にしたのち、リヒャルトの提案で熊のモチーフを得たが、何故それまでシュタイフ社は熊人形を作らなかったのだろうか。

フロンティアの珍しい動物たちに対して熊は劣ったのだろうか。

本当のところは知りえないがリヒャルトは熊が好きだった、それだけは事実であろう。

調べていて意外であったのはドイツ近郊のヨーロッパでは熊が当時から溢れていたようである。生きた熊が溢れているということは野良猫を見かけるというのとはだいぶ違う。

ネイティヴアメリカンたちの言葉には「熊」に相当する単語がないという。彼らは熊を見て「あら熊だわ」と軽はずみに呼ばなかったのだ。

複数の文化圏に熊を意味する婉曲表現が存在する。わたしのよく知る動物園に居る一頭のヒグマは飼育係りの男性には「親父さん」と呼ばれている。飼育係りはけして「おい熊」とは言わないのだ。だがしかし飼育係りの男性もわたしからしたら結構な親父さんである。

リヒャルトはおそらくその子ども時代より野生の熊を恐ろしく感じて育ったかもしれない。では彼が熊人形を作りたい、僕が欲しいんだからみんなもきっと欲しいはずだと確信したきっかけは何だったのだろう?

リヒャルトはごく初期にマズルベア、つまり口輪を付けヒトを噛まないようにしたテディベアを発表した。これはリヒャルトの熊像、熊のイメージを明らかにする作品だと言えると思う。

1900年前後のドイツ近郊に於けるサーカス巡業と小規模な移動動物園の風景を調査している。

次回より少し横道にそれることになるけれど猛獣たちを如何にしてなだめんと労苦した数人の男性についてしばらく記載したいと考えている。