シュタイフ社 1902年 55PBとはどんなテディベアなのか
現在テディベアを作っている工場は世界中に幾つくらいあるのだろう。日本ウォーグ社 ポーリン・コックリル著「テディベア大図鑑」の巻末資料によればテディベアを扱う博物館及び老舗販売店として12カ国130のアドレスが載せられている。
ポーリン・コックリルは冒頭でこう書いている。「本来なら獰猛な肉食動物の熊が、子どもたちから可愛がられるおもちゃに変身するなど、とても考えられないことだろう」。
ふわふわとした触り心地の良いテディベアをリヒャルトがデザインする前からスイスやロシアでは木彫りの熊をオブジェや子どもたちのおもちゃとして製造していた。当時熊はサーカスで曲芸をする動物としてヨーロッパやアメリカ大陸では知られていた。
「テディベア大図鑑」にはざっくりと『シュタイフ1902ー05』としてそのころのテディベアがずらりと並んでいる。55PBの写真は無く幾つかのテディベアは復刻版である。
しかしながらこの図鑑にはテディベアへの愛が溢れている。240頁の大型本のどこを開いても前向きにお座りをしたり首を傾げたりしているテディベアとテディベアを抱いて満面の笑みでポーズをとる人々が写っている。
眺めているととても楽しい。55PBの特徴をどうのと言っていられなくなる。ポーリン・コックリルはテディベア図鑑を他にも何冊か出版しているが、中にはポケット版サイズで一頁に一体のテディベア、どの会社のどのテディベアにもきちんと一頁を充てている本もある。
テディベアは尊厳を重んじられている。愛されているテディベアは本当に可愛い表情をしている。
ポーリン・コックリルはテディベア第一号リヒャルトの55PBにも言及している。全文を転載してみる。「リヒャルト・シュタイフが満足のいく可動ジョイントシステムを作り出す試みを始めたのは1902年だった。糸ジョイントの素朴な動物が幾つか考案された。そのひとつが茶色いBär55PB(Bärはドイツ語で熊)で、座高が55㎝あり、フラシ天(plush)製で、手足や首が動かせる〜beweglish〜ことからそう名付けられた」。
ポーリン・コックリルはこのあとの文章で多くの特許を取得した1905年のBär28PBを貴重なテディベアだと特筆している。Bär28PBもリヒャルトの代表作である。
いったいこの大図鑑には何体のテディベアが載せられているのだろうか。テディベアは皆素晴らしいのだとポーリン・コックリルは文章を出来るだけ省いているようだ。生き生きしたテディベアたちが紙面を埋め尽くす。リヒャルトの熊がどうのと、無粋な話だとわたしも一瞬思う。
わたしが55PBのデータから考えずにいられない特徴のひとつがその体高である。リヒャルトは様々な体高の、つまり平たく言えば様々なサイズの熊を作った。初期シュタイフの頁にはテディベアが五体載っていて、28㎝がひとつ、38㎝かふたつ、45㎝がひとつ、それから55PB、55㎝である。
大きめのテディベアには70㎝や60㎝というのもある。ではなぜリヒャルトはテディベア第一号の体高を55㎝にしたのだろうか。
マルガレーテはその回顧録によればリヒャルトの55PBに「子どもたちには大きすぎる」とクレームをつけている。もしもリヒャルトが子どもたちが抱くことを想定していたら55㎝のテディベアを企画会議に提出するだろうか。
リヒャルトはシュトゥットガルトの工芸学校でプロダクトデザインを学んでいる。作品のサイズは質感や用途より、何より優先されるはずである。リヒャルトは敢えて55㎝の大きさを選んだのである。
わたしはいつかBär55PBを「シュタイフ社を汚す作品」と評した文章を読んだことがある。作品の良し悪しは人それぞれが感じるものだが、この文章を読んでからだ。わたしは55PBが見たくて堪らず検索をしたが未だにそれほどの汚らわしいテディベアを見ることが叶わないのだ。
ある人は素晴らしいと褒め、またある人は汚らわしいと嫌う。これはその作品が強い個性を放っている証しではないか、そんなことをその時に思った。
わたしは新しい木彫り熊を買うと必ず前足を丹念に眺める。熊は手足の関節の可動域が大きく、器用に動かせる前足の指を使って車のドアを開ける熊の動画を見たことがある。そして前足を使う時には後ろ足を強く踏ん張るのだ。
この図鑑の55PBの右上には55PBを横から見た写真がある。右手を軽く上げている。
あっ。
わたしは図鑑の頁に一体の木彫り熊をでんと置いた。札幌の荒木工房の木彫り熊である。比較的新しい作品だがわたしが1番気に入っている熊である。長い鼻面、惚けたような口元。
ポーリン・コックリルさん、リヒャルトのシュタイフ55PB、札幌の木彫り熊にめっちゃ似てますよ。
まことに主観的であるが北海道の木彫り熊を可愛いという人にはあまりお目にかからない。特にこの荒木の熊は猛々しくてキレッキレである。わたしは考える。そうかリヒャルトはこんな熊が好きだったんだなあ。
あっ。55㎝の意味をわたしはその時悟った。リヒャルトは自分で抱っこして丁度いい大きさにしたのではないか。大人の男のためのテディベアであったのではないか。だからそうか子どもには少し顔が怖かったのかもしれない。見てみたい、1902年の全然売れなかったライプチヒの見本市のリヒャルトの55PBを。
リヒャルト・シュタイフは大人の男たちのためにテディベアを作った。リヒャルトは自分が納得出来る自分用のテディベアを作ったのだ。まことに私見ながらそんなことを思っている。